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政権交代がなぜ必要か?
 2009年は、安倍・福田・麻生と3代続けて国民の信を得ていない内閣が相変わらず政権に居座り続けるなかで、明けました。 しかし、遅くとも任期切れとなる本年9月までには衆議院議員第45回総選挙は実施されるわけですし、7月には東京都議会議員選挙も施行されます。 その意味で、私たち働く者にとっても大きな意味を持つ年の幕開けだと言えます。

★ 政権交代によらずとも政治は改革できるのか?
 衆議院議員選挙については、初の小選挙区制による選挙実施から12年が、また民主党が現在の構成となり実質的な2大政党制が築かれてから5年がそれぞれ経過したこともあり、政権交代の可能性が都度取り沙汰されていますが、その政権交代についてはたびたび以下のような声が聞かれます。

 「確かに今の政治は変えなければならないけれど、でもそれは政権交代によらずとも、現政権(=政権与党)を内側から改革していけば、なし得るはずだ。 自民党政権は良くも悪しくも50年の政権担当の実績があり、このかたちを根底から覆すのは不安だ」

 現行の政治システムのもとで利権をむさぼる確信犯的現政権支持層の悪意や、「政治なんて関係ない。 メンドクサイことはイヤ!」な人々の無関心からではなく、国民の生活とこの国の未来を真剣に憂える人々の良心からも囁かれるこうした声なのであれば、このような政権交代無用論に対しては誠実に反論しておく必要があります。


★ 今の政治「官僚が悪い」と言うけれど、官僚に仕事をさせているのは誰なのか?
 官公庁リタイヤ組の関連外郭法人への天下りや国民年金問題など、今の政治がなっていないのは「官僚が悪い」からだ、と声高に言われています。

 しかし、その官僚に仕事を命じているのは誰でしょうか? 言うまでもなく内閣総理大臣を筆頭とする日本国政府です。 命じた仕事の結果が悪かったのであれば、官僚本人たちの責任は勿論のこと、それを指揮した政府(=閣僚)にも監督責任があります。

 ところで、いわゆる「キャリア」と呼ばれる高級官僚は誰もが優秀な方々であるのに、何故こうも不祥事・失態が繰り返されるのでしょう? それは、彼らを指揮監督する閣僚たちが、彼らにどんなふうに仕事をさせているかを知れば、明らかになります。

 テレビの国会中継などで議員からの質問に関係閣僚が答弁するシーンがありますが、閣僚が答弁に立つ直前に明らかに閣僚ではない人間がその閣僚の席ににじり寄って何か資料を手渡しながら一言二言囁く場面を見かけることがあります。 実はこの人間こそ関係省庁の役人であって、質問に対する最良の答弁を閣僚に入れ知恵しているのです。

 この例に見るとおり、実は閣僚は自らが担当する行政に通じていないことが多いのです。 閣僚(=大臣)という役職は、自民党を中心とする長期政権のなかで、多選議員たちに対するご褒美のポストとして扱われてきました。 例えば、東京都第23区選挙区から選出されている自民党の伊藤公介衆議院議員は、1996年11月の第2次橋本内閣発足にて当時の国土庁長官に任命された際、テレビのインタビューに答えて「小泉(純一郎)先輩から『派閥内の同期当選組でまだ入閣経験のない議員は君だけだから、今回の入閣は間違いないだろう』と言われていた」旨の発言をしています。 この発言からもわかるとおり、自民党内では閣僚ポストは、派閥内で当選回数を重ねた順に議員に割当てられてきたのです。

 こんな具合に大臣が決められるわけですから、大臣が担当行政の政務に精通していないのは当然です。 そして、すでに出来上がっている法律や行政に対する質問にすら自分自身では答弁できないのですから、これらを一から作り上げなくてはならない内閣立法の現場では、さらに悲惨なことになります。

 国会で作られる法律のほとんどは、内閣側で案を作成しそれを国会に諮る「内閣立法」に依っています。 しかし、その法案を内閣で作成しようにも肝心の閣僚にその知識がないのですから、担当行政に精通した官僚に要点だけを指示して、あとは「良きに計らえ」となってしまうのです。

 一方で法案の仔細立案を命じられる官僚は、本来「決められた手順やルールに基づいて」「一切の過不足なく」「忠実に行政実務を遂行していく」ことに特化された人材です。 かれらが「優秀である」というのは、行政実務の忠実な遂行においてこそ優秀、ということなのであって、何もないところから法案を作成するような仕事には、もともと向いていません。 そこで、過去事例・前例を紐とき、他省庁の職分を侵さない範囲で、そして法が制定された暁には自らがその法に基づいて業務遂行するわけですから、何よりも自分たちが仕事をし易い法案、すなわち、何の当たり障りもなく官僚自身にとって都合の良い法案が作られることになります。 こうして作られた法律がそれを作った官僚自身により都合よく運用されて長い年月が経ったある日、立法当事者たる国会議員が想像もしなかった「消えた年金」などさまざまな問題が顕在化するのです。


★ 政治を政治家の手に取り戻せば政治改革は成る。 現政権にそれが可能か?
 ここまで述べたとおり、今の政治を悪くさせているものは立法を官僚に任せきりにしている閣僚=政治家の姿勢にあります。 であれば、立法を官僚の手から政治家の手に取り戻すことで、政治をより良いものに変えることができるはずです。 それを現政権与党=自民党の自浄能力に期待することは可能でしょうか?

 立法を政治家の手に取り戻すために政治家自身の力で法案策定しようとする現場で、どんなことがなされているか? このことについて、埼玉県第5区選挙区選出の民主党・枝野幸男衆議院議員が興味深い事例を報告しています。 野党の議員である枝野議員が法案を国会に諮ろうとするならば議員立法によることになりますが、この議員立法手続きでは、議員が作成した法案原案は文書化のため議院法制局の精査を受けることとされています。

 枝野議員によれば、この議院法制局による精査の過程で、憲法をはじめとする他の法律や多くの過去事例・前例との整合性についてさまざまな指摘と修正を受け、結果その法案趣旨までもが曲げられてしまうこともあるのだそうです。 もちろんこの指摘と修正はあくまでも「法制局から議員へのアドバイス」に過ぎませんから、最終的な法案文面決定権は議員にあります。 弁護士資格も持つ枝野議員のように法律に明るい議員であれば「責任は私が持つから、私の原案趣旨どおりに文面を作ってくれ」とつっぱねることもできます(実際、枝野議員はそうしています)。 ただし、そのようにして策定された法案は先に作られた他の法律と背反することもあり、この場合「新法優先の原則」により新しく作られた法律が優先されることになります。 つまり、以前の法律は新法により否定されるのです。

 自民党議員が、枝野議員と同じことをしようとすると、どういうことになるでしょう? 自民党は50年超の長期政権に安住してきましたから、戦後制定されたほとんどの法律は自民党が策定したものです。 自民党議員にとって以前の法律を否定するということは、自らの先輩議員・閣僚たちが策定した法律を否定することになります。 そのようなことを自民党が党として認めるわけがありません。 結局は議院法制局からのアドバイスを受け容れて、先人の跡を歪めない、何ら目新しくなく改革の志も削がれた、旧態依然たる法案が作られるわけです。

 自民党の志高い若手議員がその志を貫くためには離党するしかなく、その一方で党内に留まることを選択した議員は、いずれは自らも長老議員となって若手を拘束する立場となります。 こうして、過去へのしがらみは延々と積み重ねられていくのです。 政権が交代しない限り、延々と。


★ 政権交代により政治が変わった実例 - 水俣病と薬害エイズ
 1950年代、熊本県水俣市の水俣湾周辺の漁村地区で、奇妙な病気が発生しました。 最初は猫やカラスが体を震わせて大量死し、それと同じ症状が住民にも見られるようになり、その多発に気付いた医師が1956年5月に「原因不明の神経疾患」として保健所に報告。 これが、日本公害病史の原点と言われる「水俣病」の、最初の公式報告記録とされています。

 原因は、湾岸に居を構える化学肥料工場が水俣湾に排出した有機水銀を含む工場廃水にありました。 この有機水銀が湾内の食物連鎖により魚介類に蓄積し、これらを食料として長期にわたり摂取した動物や人間が、有機水銀による中毒性の中枢神経疾患を発症したものです。

 1959年には厚生省(当時)の食品衛生調査会から「原因物質は有機水銀である」ことが厚生省に答申されたものの、その発生源については、この工場からの排水であることが「疑われる」と表現されるに留まり、何らの行政措置は採られませんでした。 1960年代に入ると、有機水銀原因説に異を唱える御用学者たちの反論も発表され、原因特定・責任所在認定と根本的な事件解決は大きく遅れるところとなりました。

 1968年に政府は、工場排水と水俣病との間に因果関係があることを公式に認めましたが、その予見は不可能であったとして国と熊本県の責任については相変わらず否認し続けます。 最終的に「事件発生が予見できたこと」「国と県に責任があること」が最高裁判決で認められたのは、水俣病が公式に報告されてから48年が経過した、2004年10月のことでした。

 いっぽう水俣病の発生から29年後、企業の過ちを御用学者の権威が擁護しそれを監督官庁が看過した結果多くの人命が奪われるという重大な人災は、全く同じ構造で再発することとなりました。 1985年5月、その2年前に病院で亡くなった血友病患者が、エイズによる死亡であったことを公式に確認。 血友病治療に用いられてきた非加熱血液製剤による HIV 感染が原因でした。 世に言う「薬害エイズ」です。

 1970年代から非加熱製剤が肝炎などの血液感染症を媒介することは知られており、1981年にアメリカで初のエイズが報告され、それが血液感染症であると判明したのちの1983年には、非加熱製剤が HIV をも媒介する可能性が指摘されました。 これにより諸外国では加熱製剤への転換が進められましたが、日本では、血液製剤メーカと御用学者の非加熱製剤擁護や薬事認可の手間取りなどから、加熱製剤への転換が大きく遅れたのです。

 被害者による国と製薬会社を相手取った民事訴訟は1995年に地裁から和解勧告が出され、その翌年に国がその責任を認めて厚生大臣が謝罪しました。 最初の薬害エイズ被害者確認から11年後のことです。

 被害者にとっては、この11年は決して短い年月ではありません。 しかし、先の水俣病において国がその責任を認めるまでに48年かかったことに較べると、薬害エイズにおける国の決断が際立って早かったことが判ります。 さらに、水俣病訴訟で国は最後まで原告と争う姿勢を崩さず、最終的には最高裁判決により渋々責任を認めたのに較べ、薬害エイズ訴訟では地裁の(判決ではなく)和解勧告に沿うかたちで、早々に国の責任を認めています。 この差異はどうしたことによるものでしょうか?

 実は、水俣病の歴史的経緯はその大半が自民党政権のもとで推移してきました。 前述したような自民党長期政権により形成された政・官慣習のもとでは、企業を監視する通産行政と国民の健康を守る厚生行政とは縦割り・相互不可侵の関係にあり、企業活動に厚生省が口を差し挟む前例も、それを可能とする新法策定の土壌もなかったのです。

 いっぽう薬害エイズもそれが顕在化した1980年代は自民党政権下にあり、半ば約束事のように被害者救済も遅々として進まぬかのように思われましたが、薬害エイズが救われたのは1993年の細川連立政権(のちに羽田連立政権)とそれに引き続く1994年の「自社さ」連立政権の誕生でした。

 初の非自民政権である細川・羽田連立政権のもとで高まった政・官構造改革の機運は、政局の混乱により自民党が与党の一角に返り咲いたものの、「自社さ」連立政権にも引き継がれました。 第1次橋本内閣では薬害エイズ問題の解決が公約に掲げられるとともに、それまで一貫して野に在った菅直人衆議院議員(現・民主党代表代行)を厚生大臣に据えることで問題解決への決意を鮮明にした結果、薬害エイズ問題の責任が国の厚生行政にあることが明らかにされたのです。


★ 政権交代だけが政治を変えられる
 「自社さ」連立政権は、いったんは政権の座から滑り落ちた自民党が、政局の混乱により再び政権に返り咲いて成立した政権であり、政治改革は限定的なものでした。 しかしそれでも、直前の政権交代による緊張感や、それまで一貫して政権の外に身を置いた菅直人議員のような人材が閣僚の座につくことにより、薬害エイズという大問題を短期間のうちに解決させる力を持ちました。 政治を変えるには、長期政権の垢や過去へのしがらみにまみれていない政党と政治家が政権を担うことが不可欠です。

 民主党は、現在のかたちで誕生したのが2003年と、まだ若い政党です。 その若さは政治を変える大きな武器であるとともに、政権運営に不慣れなゆえの危うさともなり得ます。 しかし、犯した失敗を国民から厳しく指摘されることで、政権担当能力が磨かれていきます。

 いっぽうで、政権からすべり落ちた自民党は、そこではじめて過去のしがらみを捨てることができます。 過去からの呪縛から解き放たれ、国民本位・政策本位の政党に生まれ変わった自民党は、敗戦の焼け野原から世界有数の先進国へとこの国を牽引してきた、かつての輝きを取り戻すことでしょう。

 こうして、コンサバティブ/リベラルと立場を異にする2つの政党が、それぞれに政権担当能力を備え、それぞれの政策を国民に問うて政権を争う「真の『2大政党制』」が完成したとき、日本の政治は大きく変わるはずです。

 政権交代だけが政治を変え得るのです。

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| 社会・政治・経済::政治・選挙 | 03:25 PM | comments (0) | trackback (0) |










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