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吉本隆明の死去に寄せて - 反「反核」ということ
 もう2週間前の話になりますが、朝の NHK ニュースで、「ヨシモト タカアキさんが死去しました」のアナウンス。 はて、その死去が NHK で報道されるほどに著名な「ヨシモト タカアキ」氏とは誰だったっけ?と一瞬首を傾げ、次の瞬間「あぁ、吉本リュウメイのことか」と判りました。 わきた等は学生時代、氏の名前をタカアキではなくリュウメイと読んでいましたから。
 わきたは、氏を代表する著作「共同幻想論」を紐解いたことがなく、またそれに準ずる著作である「世界認識の方法」は読了したものの、その内容は良く憶えていません。 しかしわきたの記憶に氏の名前を強烈に焼き付けたのは、氏の著作や、ましてや次女の「ばなな」ではありません。 1980年代の初めに、作家の大江健三郎等との間で繰り広げられた「反核 vs 反『反核』論争」です。

 
 米国の核だけを批判してソ連(当時)の核には言及しない一方で、核「兵器」と同列に核「エネルギー」平和利用にも批判の矛先を向ける態度が、吉本には欺瞞に満ちた風潮と映ったようです。
・・・ 唯一の被爆国であり、それ故に米国を非難し核の被害へ同情さえしていれば、そのムーヴメントは日本のリベラルな陣営(= 当時のマジョリティ)から非難されることはない。 誰からも非難されない高みから、あたかも全人類の代弁者であるかのような無覚悟な批判を投げつけているだけのオピニオンは、ファシズムである ・・・
 吉本の主張は概ねこのような論旨だったと思います。

 当時の反核運動には、わきたも違和感を覚えていました。 代々木公園で数十万人規模(主催者発表?)の反核集会が開かれ、参加者全員が一斉にその場に倒れこんで核に抗議する「ダイ・イン」などが行われましたが、このような集会のひとつに参加した知人の報告によれば、1人の発言者が「核兵器のみならず通常兵器に対しても、反対の声を挙げよう」と壇上で発言したところ、少なからぬ聴衆からのブーイングが起こったというのです。
 当時の日本の反核運動は、「日本が世界で唯一の核による被爆国である」という事実と密接に関係していました。 すなわち当時の反核運動は「日本の被爆者を、被爆者たらしめたもの」に対する抗議の運動であって、日本も含めた「すべての戦争行為」に対する抗議ではなかったのです。
 従って、批判の対象を「米国の核」のみならず「ソ連の核」にまで、あるいは核に限定しない「すべての兵器」にまで広げてしまうことは、第1に核の被害者である被爆国日本も加害者の側に立たせてしまうこと、第2に日本の被爆者だけに留まらず、世界中のすべての戦争被害者に被害者の範囲を広げてしまうこと、につながり、その双方ともが当時の「反核運動」の趣旨からは容認できない。 前述のブーイングは、そうした事情から発せられたものと思われます。
 自分たちは決して加害者にカテゴライズされないように、そして自分たち「だけ」が確実に被害者にカテゴライズされるように、注意深く周到に、被害者と加害者を分け隔てる線引きを設定した。 その巧妙な線引きこそが、「戦争か平和か」ではなく「核か非核か」だったのです。
 そして、「戦争か平和か」の軸上ではラディカルになれない()ことを隠蔽するために、これと直交軸をなす「核か非核か」の軸上で、いっそうラディカルに振る舞う ・・・ 核の平和利用のかたちである原発をも、「核利用技術である」という1点のみ取り上げての、ヒステリックな否定に至るわけです。

何故なら、この軸上でラディカルになるということは通常兵器による戦争も加害行為と見なすということであり、自分たちをも加害者の側に立たせることになるから

・・・・・

 わきたが暮らす東京・多摩市では、市制施行40周年にあわせて、昨年11月に「多摩市非核平和都市宣言」が制定されました。 ところがこの宣言のなかでも、福島第1原発の事故を引き合いに出して、核の平和利用を否定する文言が盛り込まれているのです。
 宣言の文頭では核兵器廃絶の主張が込められているものの、文末に近づくにつれて次第に核代替エネルギー希求宣言の様相を帯びてくる、少し奇怪な非核「平和」都市宣言です。
 否定の対象を「核兵器」に止めていたなら、「キモチとしては『核』と限定せずにすべての兵器に対して否定の意を表明したいところだが、冷静に考えれば通常兵器も含めて廃絶を求めることは非現実的なので、「核」兵器に限定した」のだと、好意的に解釈することもできます。
 しかし、核の平和利用のかたちである原発を否定の対象に含めた途端に、「あぁ、この宣言もまた、『戦争』と『平和』との間にではなく、『核』と『非核』との間に線引きすることで、自らを免罪し自らだけを被害者と位置づけたいんだな」と思えてしまうのです。

 多摩市の非核都市宣言の採択にあたっては、その「非」の対象に原発をも含めることに対して、自民党会派から反対意見が出されたそうです。
 彼らが反対した理由は判りません。 しかし、自民党支持層のようなコンサバな立場によるのではなく、吉本やわきたのようなリベラルな立場からも、反核運動/非核宣言の対象に原発を含めることに嫌悪を抱く人間は、少なからず存在するのです。
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| 社会・政治・経済 | 01:52 PM | comments (0) | trackback (1) |










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