2011,03,05, Saturday
先日、このY's Blogの話を家族としていて、ウッカリ「もう、ひと月以上も更新してないよ」と口を滑らしたところ、自らもアメブロにブログを開設している生意気な下の娘がそれを聞きつけて、「ブログ持ってるなら、最低でも月に10回は更新しなくちゃ」などと、根拠不明な基準を持ち出して父親をなじるのです。
まぁ良かろう、3日に1回更新すれば良いんだな・・・ブログの良いとこは、特にこのY's Blogのように閲覧者の少ないブログは、暇なとき思いついた妄想や、しょーもない発見・気付きなんかを記事にしてれば体裁が整うってところ。 以前書いた「放送メディアよ、藻舞らに経済報道はお薦めできない まぁ バラエティでもやってなさい ってこった」も、昔からことあるごとに指摘するのだが、周りの人々の共感はあまり得られず、しまいには鬱陶しがられたオピニオンを書き綴ったものです。 これから書くことも、昔からウケ狙いで話すんだが評判はあまり良くなくて、食事時なんかだと逆にヒンシュクを買っていたお話。 こんなんで良けりゃ、3日に1回くらい書いてやるョ、娘。 すかしっ屁=音をたてない放屁。 「すかしっ屁は臭い」と良く言われますが、これは本当でしょうか? 経験的に知られている事実なのか、それとも所謂「都市伝説」に過ぎないのか? 臭いのか臭くないのかを「事実として」認証するためには、匂いセンサなどを使用して定量的に計測するところでしょうが、ここでは周りの人間の認知の観点から考証してみます。 オナラには、音をたてるもの/たてないものが あり、また他方、臭いもの/臭くないもの があります。 放屁者の周りにいる人間は、そのオナラが音をたてたとき または 臭かったとき あるいは その両方であったとき に、それがオナラであったことを認知することになります。 オナラのこの2つのファクタの組み合わせが、周りの人間の認知/不認知にどう相関するのかをマトリクスで表したのが、下表です。
薄ピンクにアミをかけたところが、音をたてないオナラ「すかしっ屁」です。 上記のように整理してわかることは、音をたてるオナラは臭い/臭くないに関わらず認知される、換言すれば「音をたてるオナラには臭いものと臭くないもの2通りある」と認知されるのに対して、音を立てないオナラ(=すかしっ屁)は臭いものだけが認知される、即ち「すかしっ屁は必ず臭い」と認知されることになります。 定量的に真実であるか否かは別にして、一般にすかしっ屁が臭いと言われるのは、このような理由によるのでした。 p.s. 上述した論理は、認知者が放屁者本人ではない場合にのみ成り立つことにご留意ください。 放屁者本人は、通常どんなオナラであってもそれを認知します。 だって、自分がコイた屁なんですから。 従って、ここで扱った命題「すかしっ屁は臭い」は、正確には「他人のすかしっ屁は臭い」と表現すべきですね。 |
コメント
コメントする
|
この記事のトラックバックURL
http://blog.wakita.cc/tb.php/35
トラックバック
|